外資に向いている人の4つの特徴

今日は外資系企業で成功する人が持っている4つの特徴について書いてみたいと思います。

 


まず、この記事で言う外資系企業について、誤解のないように定義したいと思います。外資系企業には大きく分けて3つの形態が存在します。1つ目は海外企業の100%会社、2つ目は海外企業と日系の共同出資、3つ目は日系企業が買収されて外資系になった会社となります。

 


私が20年以上経験を積んだのは、海外企業が100%出社する子会社である1つ目のケースなので、この記事では1つ目のケースの外資系企業を念頭に、そこで成功しやすい人、向いている人について書きます。

 


外資系企業に適した人の第一の特徴は、実力主義の世界で自分の力を試したいと常々思っているタイプの人です。日本にある外資系企業は、日本の労働基準法に準じた業務を行ってはいるのですが、労働者を守ると言う観点においては、日本企業とはレベルの差がかなりあります。

 


考え方は、プロのスポーツ選手の環境に近く、会社が求める実力がないと判断された人・実力を発揮できない人は、遅かれ早かれ会社から去ってもらうことになるので、会社に守ってもらう意識は捨てないといけません。常に自己のスキルを磨き、それを持続的に発揮することが求められています。

 


年功序列のカルチャーは殆ど存在しないので、特に若手(20代・30代)で自らの実力を十分に発揮する機会に乏しいと感じながら現在仕事をしている人にとっては、外資系企業への転職を選択肢のひとつとするのは良いと思います。

 


2つ目の素養としては、変化への対応力に秀でていることです。外資系の企業は市場環境の変化への対応を常に心がけており、日本の企業と比べると、非常に早いペースで会社の方針や組織の体制が変更されます。

 


景気が少しでも悪くなれば、躊躇なく組織をスリム化するためのリストラを敢行しますし、逆に景気が良くなれば、思い切った社員の増員をします。

 


また、世界の地域レベルでも頻繁に変化します。例えば、日本地域の売り上げが今後本社が期待するように増えていかないと判断した時は、(最悪のケースでは)日本市場から撤退するというところまで行います。そうなったら、日本支社の従業員は全員解雇されます。

 


私の経験談をお話しすると、2000年頃にドットコムバブルが崩壊して業績が悪化した時、私が勤めていた外資系IT企業ではグローバルで大幅なリストラをしました。日本支社では当時約800名いた従業員のうち、約200名が即日解雇される事態となりました。

 


会社からその日は朝9時に全員出社し、自分のデスクにいるよう厳命されていました。当日、リストラ対象となった人は自分のデスクの電話に順番に人事部から電話がかかってくる流れとなっていたので、電話が鳴らないように願いながら、デスクの電話の前で緊張して数時間を過ごしたのを覚えています。

 


幸い、自分はリストラの対象にはなりませんでしたが、その後に見た、人事部の前にリストラ対象者の長い列は、今でも忘れられません。

 


リストラだけでなく、会社の組織や体制を変更したり、買収・合併に伴い会社の体制が大規模に変更されるなど、劇的な変化が目まぐるしく起こるので、それらの変化にうまく対応することが必要になります。

 


それらの変化にうまく対応できる能力を身に付けていることが、外資系の世界で生き抜くにはとても重要な要素となります。

 


また、いつリストラされてもおかしくないので、常に危機感を持って自己研鑽に励み、自分の市場価値を上げておくことが肝要です。最悪リストラされても、他の会社に現在と同条件か、それ以上の条件でスムーズに移籍出来るよう準備しておく必要があります。

 


3つ目目の素養としては、自分の意見を大勢の人の前ではっきり主張できることです。よく会議で何も発言しない人がいますが、そのような態度は外資系では全く歓迎されません。

 


意見も言わない・質問もしないような人は、他の会議の参加者に全く貢献しない人材と評価されてしまいます。また、これは日本人の悪いところだと思いますが、会議で発言しなかったにもかかわらず、会議が終わった後に仲間内などで会議の内容に対して文句を言ったり批判する人がいます。そのような態度はさらに嫌がられます。

 


自分の意見を恐れることなく主張するためには、日常から物事に対してよく熟慮した上で、自らの意見を持つ習慣を身に付ける必要があります。その上で、批判を恐れずに自分の意見を人前ではっきりと述べることが求められています。

 


学校の勉強と異なり、ビジネスの世界では正解は一つではなく、完璧な答えなど存在しないので、自らの意見に完璧を求める必要は全くありません。完璧を求めるがあまり、何も発言できなくなってしまうような人は、外資系では生き残っていくのは難しいと思います。

 


これはアメリカ人に聞いたジョークなのですが、国際会議の成功を図る要素が2つあって、1つ目は(主張が大得意な)インド人の発言を抑制できたか、2つ目は(シャイで何も発言しない)日本人が発言できたか、と言うものです。

 


残念ながら、国際的にも日本人が発言しないことはよく知られています。先生の話を黙って聞くことが中心の日本の受け身教育の弊害だと思いますが、自らの意見を発言できないことは、外資系企業ではまったく歓迎されません。日本人コミュニティの中では、主張し過ぎると判断されるくらいで、外資系ではちょうど良いのかもしれません。

 


4番目の特徴は、自分のキャリアに責任を持てる人です。これは2番目に挙げた変化への対応力に秀でていると言う点と関連しますが、外資系はとにかく変化が多いので、それにうまく対応すると同時に、自分のキャリアは自分で築き上げていく、と言うしっかりとした気概を持っていないと、常に周囲に流され続けることになります。

 


外資系企業に入って、その後昇進して経営幹部を目指しているような人は、上司や会社(または製品)のせいにしているとなかなかうまくいきません。常に自らのキャリアを作るのは自分であり、自分の周りで起こっていることはすべて自分に責任があると言う強い気持ちを持って、前向きにチャレンジし続けることが、外資系企業で成功できる大事な要素の1つとなります。

 


私は管理職になってから数百人の候補者を面接してきましたが、その中に頻繁に会社を移り歩いている人を多く見かけました。採用面接では、これまで候補者がキャリアをどのような考えで作ってきたのか、作ろうとしているのかを必ずお聞きしました。そこでわかったことの一つは、転職を繰り返す人は、自分のキャリアを場当たり的に考えていることと、他責にしたがる傾向が強いことです。

 


例えば、転職を繰り返す候補者が、ある会社でリストラされた理由を聞くと、自分の実力が足りなかったとは絶対に言いません。多くの候補者は、運悪く本社の方針変更により日本のポジションがなくなったのでリストラされた、みたいな感じで言い訳します。そのような考えの人は、1社ではなく複数の会社で同様の退職を繰り返しているのですが、その原因が自分の日々の行動や考え方にあると言う根本理由が理解できていないので、私は絶対に採用しませんでした。

 


くどいようですが、自分のキャリアは自分に責任がある、自分のキャリアを作るのは自分であるという強い信念を持っていない人は、外資系に行かないことをおすすめします。

 


ここまでの4つが、自分が考える外資系企業に向いている人が持つ主な要素となります。 

 


あと最後に1つだけ。外資系企業への転職の話をすると、よく英語の話になることがあるのですが、外資系で自分らしく仕事ができるという観点からすると、英語の優先順位は低いと思います。特に前線のフィールドで働く、営業・SE・サポートなどのメンバーにとっては、それが当てはまります。

 


英語はもちろん出来た方が良いですし、メールの内容が概ね理解できる程度の英語力はあった方が良いですが、仮にわからな買ったとしても、グーグル先生に翻訳して貰えば良いので、そこまで重要視する必要はありません。したがって、英語(特に話す・聞く)は外資系企業に入ってから身に付ければ何とかなると思います。

 


それ以上に、先に挙げた4つの要素の方が外資系の中で生き残ってためには、より重要だと思います。これらの4つのマインドセットというか、心構えが自然に身に付いている必要があります。自然に、というのがポイントで、無理してこれらの要素を自分に適用させないといけない人は、どこかの段階で無理が出てしまうので、外資系ではなく、日経の企業でキャリアアップしていった方が、中長期的には良いのではないかと自分は思っています。

 


魚は山を登れないという英語のことわざがありますが、魚は水の中でこそ活き活きとするのであって、無理して陸上で生活すると、必ず死にます。

 


同様に、自分が事前と輝ける、自分の特性や長所を生かせる場所を選ぶのが、仕事でも最優先事項です。自分をしっかり見極めた上で、その点だけは妥協せず間違いのない選択をしていきましょう!

最終編-10年で年収を10倍にアップした方法

前回までのエントリーで、年収を今後10年で大幅にアップさせるために取った方法として、以下の2つの大方針を決めたことをお伝えました。
 
  1. 10年後に目指すキャリアゴールを、新たに日本に進出してくる外資系日本法人の社長とする
 
  1. 1/1000の希少な人材になるためのキャリアアップの方程式を、1/10 (ビジネス英語力)  x  1/10 (管理職としての実績)  x  1/10 (新規事業の立ち上げ実績)  と定め、管理職と新規事業の立ち上げの2つの実績を積むことに狙いを定める
 
 
当時の自分はすぐに管理職になれる立場ではなかったので、内勤営業として勤務しながら、経営層の考え方を知ることと自分をアピールするために、経営メンバーとの接触を増やすようにしました。やったことは、会食の席で出来るだけ彼らの隣の席をゲットして話を聞いたり、ランチをご一緒させてもらうなどです。
 
上記の戦略を決めた半年後くらいだったと思いますが、最前線で活動する法人営業部隊の生産性を向上することを目的として、社内にProductivityという部門を新たに作るという話を聞きました。内勤営業の仕事も自分が担当する外勤営業を支援する業務でしたが、Productivityは個々の営業マンではなく、営業部門全体の生産性を向上する施策を実施する部門なので、管理職としての指揮権はないものの、これは営業のマネージメントを擬似体験できる良い機会になると思い、部門の立ち上げメンバーとして立候補しました。
 
病気する前は、自分も最前線の法人営業として活動していた経験があることや、経営メンバーに対して改善策などを日頃の何気ない会話で提案していたことなどから、すんなりとProductivity部門へ異動できました。その部門では2年ちょっと活動し、営業の管理職のメンバーが日々どのような課題を持っているのか、営業メンバーの評価をどのような観点で実施しているのか、営業本部ごとの特性や傾向など、外野からは知り得ない情報に日常的に触れることができたのが、自分の財産となりました。
 
その後、この会社に転職した時に自分のメンターだった先輩が某製品部門の事業部長に就任され、その部門の製品営業にならないかと誘ってくれました。Productivity部門での終盤に、改善意欲の薄い上司との関係が悪化していたことや、波があるものの、その頃には自分の体調がだいぶ良くなってきていたので、製品営業として活動させてもらうことになりました。
 
製品営業は、自社の製品群の中で、まだ主力製品となっていないマイナーなものを、外勤営業や代理店を通じて拡販する任務を背負っています。特に外資系企業では、自社製品が陳腐化しないよう、新領域の製品やテクノロジーを自社で開発するだけでなく、外部から買収を通じて定期的に社内に取り入れます。それら新製品の販売促進を担当するのが製品営業の役割です。外勤営業は、自社の主力製品の販売には長けていますが、非主力製品は販売したことがない・または慣れていないので、放っておくと売らない傾向にあります。その弱点を組織としてカバーするために、製品営業が販売トーク・資料などを作成し、外勤営業と同行して非主力製品の販売につなげます。
 
自分が製品営業となってから2年間は、新製品ではなく、すでに社内で販売されて期間が経っていた非主力製品の拡販を行いました。自ら販売するのではなく、前線の営業や代理店に販売してもらうために、さまざまな販売促進策を矢継ぎ早に実施しました。試行錯誤をする中で、上手くいくケースといかないケースの棲み分けを、なんとなくではありますが、現場の経験を通じて理解できたのはすごく良かったです。
 
この時点で、10年計画を立ててからすでに4年が経過しました。このタイミングで、1年前に買収した製品をマーケティング部門が中心となり販売促進をしてきたが、一向に売れないため、製品担当の責任者となってもらえないかと打診がありました。ついに、自分が待ち望んでいた新規ビジネスの立ち上げをする絶好の機会が到来したので、すごく興奮したのを覚えています。
 
製品のターゲットなる顧客の絞り込みができたことや、売り方の鉄板トークを外勤営業の多くが身につけてくれたお陰もあり、自分が担当した1年ちょっとで売上は10倍以上になりました。どのように売り上げを伸ばしたかを書くと長くなってしまうのでここでは割愛しますが、この1年間は自分の成功体験となり、自信にもつながりました。さらに良かったのは、日本でこの製品の売り上げが急激に増加したことで、日本だけでなくAPJ(アジア・パシフィック・ジャパンの略)地域全体を統括するシンガポールの経営陣に、自分の名前を知ってもらえるようになったことです。
 
製品責任者として1年ちょっと経過した頃に、会社が非常に力を入れて開発を進める全く新しい製品が、これまでと異なる形の事業形態でリリースされることになりました。この製品は、自社に加えて他のメジャーなIT企業2社と共同で出資をして新会社を立ち上げ、新会社が製品開発と販売促進を担い、その3社の外勤営業と各社の代理店と共同で販売するスキームです。本社がある米国では新会社を設立しましたが、日本では、当分の間は3社それぞれの社内に新しい部門を作り、3社共同で拡販をすることになりました。
 
この新しい部署で新たにマネージャーが採用されることになりました。これは自分が管理職になる絶好の機会だと思い、このマネージャー職に立候補しました。しかし、当時の日本法人社長は自分とは別の人をマネージャーにつけようと計画していることを知り、このままでは自分が採用されないと思い、色んな人に働きかけをして自分を押してもらうようにお願いしました。
 
この時はなりふり構ってられないので、社内政治を大いに使いました。また、仮にこの部署のマネージャーに自分がなれないのであれば、会社を退職する意向であることを公に表明しました。
 
ここは勝負どころであると判断し、退路を断ったんです。紆余曲折ありましたが、なんとかマネージャーとなることができ、初めて管理職を経験するとなります。
 
部員は私を含め6名からのスタートと言うことで、新しいメンバーは自分が採用することになりました。2人を社内からリクルートし、その他のメンバーは外部から採用しました。初めての管理職と言うこともあり、少し気合入れすぎてしまったのか、一時期精神的に病んでしまったメンバーが1人いたり、新しい取り組みということでうまくいかないこともたくさんありましたが、最終的にはこのビジネスを無事に立ち上げることができ、会社からも高い評価を受けました。
 
このように、ちょっと無理してでも管理職のポジションを早めに勝ち取ったことが、自分のキャリア形成において非常にポジティブに作用しました。その後、様々な会社から管理職として転職のオファーをいただき、最終的には他のITセキュリティ会社の事業部長として転職しました。この部門は、企業にセキュリティ関連のクラウドサービスを提供していたのですが、私が入社した当初は、日本全体で1万ユーザ位のビジネス規模しかありませんでした。そこでこれまで培ってきた顧客のターゲティングや絞り込み、さらには販売体制の見直しや売り方の磨き上げを徹底的に行い、2年間で約100倍の100万ユーザを超えるまでにビジネスを大きくすることができました。
 
このようにビジネスの立ち上げと管理職としての実績を短期間で作ることができ、いよいよ自分が当初目的としていた、日本市場に入ってくる外資系企業の日本法人社長として声がかかってもおかしくない、最低限の準備は整いました。
 
その後もいくつかの会社から管理職としてのオファーをいただきましたが、次のキャリアは日本法人の社長と決めていたので、それは全てお断りしました。日本法人の社長としてのポジションの話が来るのをただ待っていても仕方ないので、リクルーターと話をするたびに、自分が求めているポジションの説明をしたりもしていました。
 
当初の目論見通り、新たに日本法人を立ち上げると言う話は思っていた以上にたくさんあり、幸運にもそれらの会社の社長をやってみないかと言うお誘いを何回かいただけるようになりました。条件面や会社の方向性またはソリューションなど、自分が思っていたものと合わない話が多く、なかなかうまくいかない時もありましたが、最終的に知人の紹介ですばらしい会社と出会うことができました。
 
その会社に移籍するにあたって、条件面でいくつか交渉しましたが、私の他に候補者がたくさんいるわけでもなく、自分が有利に交渉を進めることができました。最終的には10年前と比べると約6倍の年収で、この会社と契約をしました。その後、その会社に移ってからも業績を大きく伸ばすことができ、3年間で日本法人の売り上げを約20倍にすることができました。外資系の日本法人の社長なので、売り上げが目標を大きく上回るとたくさんのコミッションをいただけるわけで、最後の数年間は、10年前と比べると10倍以上の年収を定期的にもらえるようなところまでレベルアップできました。
 
このように書いてみると、自分の年収の軌跡は、すごく順調な右肩上がりのストーリーとして見えるかもしれませんが、いくつかのターニングポイントで失敗をしていたら、こうなっていなかったのではないかと常々思います。
 
最大のターニングポイントは、自分が法人営業としてトップを極めると言うことを諦め、違う道で成功すると決めたことだと思います。つまり、自分の強みと自分の弱みを正確に把握し、強みを最大限生かせるところで勝負をすることができたというのが一番の成功の要因でした。そして強みを生かせるフィールドで、当初考えていた方程式を10年間と言う長い時間をかけて完成させたことで、目標を達成できたのだと思います。
 
この世界は需要と供給で成り立っているので、供給の少ないところで勝負をするのが一番手っ取り早いと思います。ただしそこに需要がないと意味がないので、場所の見極めは慎重に行う必要があります。その場所にしっかりとした需要があり、なおかつ供給が非常に限定的であれば、年収は間違いなく大きく上がります。おそらく、自分の言い値で年収を決めれると思います。
 
何度も繰り返しちゃいますが、すごく大事なポイントは、供給が少ない非常に希少性のある人材に自分がなれるかどうかと言うポイントです。何回かお話ししているように、短期間でマーケットの中で短期間で希少性の高い人材となるのは非常に困難です。自分なりの勝てる方程式を作ったら、日々の業務を通じて時間をかけてその方程式を完成させるというのが、年収を大幅にアップさせる秘訣です。
 
誰もが異なる強みを持っているわけで、自分が持っている強みを自分なりの成功の方程式に落とし込んで、時間を味方につけながらその方程式を完成させるように進めてみると、意外と早い段階で成果が出始めてくるのではないかと思います。間違っても、自分の弱みを克服することに時間をかけないでくださいね。いくつかの強みを組み合わせ、それぞれをどんどん尖らせていって、日本の人材市場で少なくとも1000人に1人の希少性を身につければ、間違いなく年収は数倍から数十倍になります。
 
世の中に会社も役職も無数にあるわけで、その中で自分の強みを最大限生かせる会社なり役職で勝負することがすごく大事です。キャリアといっても仮に20歳から65歳位まで働くとして、最大でも40年ちょっとしかないわけで、勝算の高い自分なりの方程式を持たずに何年も無駄にするような事はすごくもったいないです。自分の勝てる方程式を見つけた上で、自分の強みを強化できるポジションに早く着くことが大事です。
 
皆さんも自分の強みを活かした上で、どんどん年収を増やしていきましょう。

実践編-10年で年収を10倍にアップした方法

前回のエントリーで書いた通り、自分のキャリアアップと年収の大幅アップに向けた10年越しの作戦を考えました。
 
先ず最初に自分の中で核となる強みとして着目したのは、ビジネス英語を自由自在に操れるスキルです。
 
英語力は、高校卒業後に留学したアメリカのど田舎(人口3000人の村)の大学で鍛えました。
留学時代にすごく苦労して習得した英会話の熟練度では、日本で少なくともトップ10%、おそらくトップ1%でも入ることができるかもしれません。ずいぶん前に受験したTOEICは970点でした。
 
日本では英語に対して苦手意識を持つ人が多く、この分野でライバルとなり得る人数が非常に限定的なことは、自分の核となる強みを生かすには非常に良いフィールドと感じました。
 
ただし、単に海外とのやりとりをたまにするとか、外資系の企業で働くというものでは、日本でトップレベルのビジネス英語力を持っている強みを最大限活かせないので、結構長い期間、ほかに何か良い方法はないものか思案しました。
 
実際、外資系の日本法人で数百人規模よりも大きな組織では、英語を活用する機会は限定的で、経営層を除く日本の社員のほとんどは。社内コミュニケーションを日本語だけで完結できます。一方、外資系企業でも日本法人のメンバーが数名から数十名の小規模な組織では、社内公用語として英語を使う頻度が一気に上がります。
 
そこで思いついたのが、これから日本市場に参入してくるであろう外資系企業のどこかで、立ち上げメンバーとして参画すれば、その会社では上司・同僚のほとんどが海外にいるので、得意の英語力を最大限活かせるのではないか、という考えに至りました。
 
でも、外資系企業の立ち上げメンバーになるだけでは、年収を大幅にアップすることは望めません。そこで、日本で立ち上げたばかり(外資系)日本法人の社長になることが、自分の強みを最大限に活かせつつ大幅な年収アップも狙える理想的なゴールとして狙いを定めました。
 
もちろん、当時の自分の実力では日本法人の社長になることは100%無理なので、そのゴールに向けて足りないものを、これからの10年を使って埋めていこうという考えで、自分のキャリアアップに向けた掛け算の完成を進めました。
 
キャリアアップの方程式 = 1/10 (ビジネス英語力)  x  1/10 (←埋めないといけない要素の1つ目)  x  1/10( ←埋めないといけない要素の2つ目)    =  1/1000の希少な人材
 
日本法人の社長として採用されるために、あと2つのピースを何にするか熟考を重ねました。
 
みなさんが当時の私の立場なら、どのようなピースを強化しようと考えますか?
 
自分は、欧米本社が日本市場に初進出する際に採用する人材の条件として、1つはマネージメント経験を見るだろうと思いました。
 
日本法人を作るということは、将来的に日本でのビジネスを大きくすることを目論んでいる訳で、最初は小さくてもいづれは組織を大きくすることを見越して、その組織を管理・牽引できるマネージメント経験を持った人材を採用するだろうと考えたわけです。
 
従って、自分が日本法人トップとして採用されるためには、今後10年の間に管理職として、アピールできるだけの実績を残すことが必要になります。
 
日本法人トップの採用にあたって欧米本社の幹部が重要視するであろうもう一つの要素は、日本市場での新製品・サービスの立ち上げ経験や、新しいビジネスを作り出す能力ではないかと考えました。
 
企業の最前線で営業をする法人営業というポジションは、自分の担当顧客に向けて自社製品・サービスを販売するプロですが、日本市場全体に対してアプローチしている訳ではありません。
 
例えば、金融機関担当の営業は、国や自治体などの公共機関への販売経験はなく、その市場の特性も正確に理解してはいません。また、東京に本社があるお客様を担当する営業マンは、関西市場の特性や売り方、地域の販売パートナーの勢力図なども知りません。
 
しかし、日本法人が対象とするマーケットは日本市場全体なので、その組織を牽引する社長は、この市場全体に対して新製品・サービスをビジネスとして立ち上げ、確立することが求められます。
 
従って、自分に必要とされていたもう一つの要素を、日本市場全体に対して新しい事業(製品・サービス)をビジネスとして立ち上げ、成功させる実績としました。
 
この二つの要素を前述の方程式に当てはめると、以下のようになります。
 
キャリアアップの方程式 = 1/10 (ビジネス英語力)  x  1/10 (管理職としてビジネスを拡大した実績)  x  1/10 (新規事業の立ち上げ実績)    =    1/1000の希少な人材
 
もし自分のビジネス英語力を1/100と仮定すると、1/100(ビジネス英語力) x 1/10(管理職としての実績) x 1/10 (新規事業の立ち上げ実績) = /10,000となり、さらに人材市場での希少性 を高めることになります。
 
1万分の1であれば、給料の決定権は、概ねのケースで採用する側ではなく私が握ることになります。
 
これは、実力がダイレクトに報酬に反映される自営業の良いところと、会社のお金でほぼリスクフリーで新たなチャレンジができるサラリーマンの良いところの、美味しい部分だけをいいとこ取りができる、ベストに近い状況です。
 
この方程式を完成させることを今後10年の目標と定め、残り二つのピースを埋めるための実績作りができそうな機会が来るのを虎視眈々と狙いました。
 
次のエントリーでは、キャリアアップに向けた自分の方程式の完成に向けて、私が実際にどのように進めていったのかお伝えしたいと思います。

10年で年収を10倍にアップした方法

最近はFIREブームと言うことで経済的独立を果たすための方法について、さまざまな情報が飛び交っていまね。

 

作家の橘玲さんが言っているように、お金持ちになる方法は単純に3つしかないですし、それを公式に表すと以下となります。

 

(収入 - 支出) + (資産 x 運用利回り)

 

この方程式から、お金持ちになるには、次の3つの方法となります。

 

 

収入を増やす

支出を減らす

運用利回りを上げる

 

 

この中で、FIREに関する情報のほとんどは、②に関連する節約術か、③の投資の運用成績を上げる方法に偏っていて、①の収入を増やす点については、本業で収入を上げる方法についての情報がすごく少ない気がしてます。副業の話は多いんですけどね。

 

なぜこんな話をしているかというと、自分がFIREできた理由は、②の支出最適化でも、③の投資の成功でもなく、単純に①の収入を増やしたからなんです。自分の場合、本業の年収は10年ちょっとで、なんと10倍になったんです。

 

これは、すごくラッキーなことがたくさんあったお陰で、短期間で年収がグングン上がったと言うのは事実です。

 

でも、振り返ってみると、単純に運だけによる結果とは言い切れないので、年収アップに向けて取った自分の戦略について書いていきたいと思います。

 

FIREを目指している方の参考になる点が少しでもあれば、すごく嬉しいです。

 

まず大前提として、10年前にはFIREなんていうコンセプトはなかったですし、40代でセミリタイアする目標なんて、その当時はイチミリもありませんでした。

 

と言うのも、35歳当時の自分は妻と息子1人の家族持ちだったにも関わらず、貯金はほぼゼロでした。貯金ゼロに至った経緯を説明すると長くなるので割愛しますが、簡単に言うと、自分が病気をして無職となった数年間のうちに家族の貯金が底をついてしまったのです。

 

その後、就職活動を始めたところ、ラッキーなことに以前勤めていた会社に再度拾ってもらい、なんとか社会復帰できました。

 

とは言え、病気が完治していない体では、以前やっていた(数億円規模のITソリューションを大企業に販売する)法人営業の仕事はハードすぎて無理なので、退職前と比べて給料は約半分の内勤営業として再スタートしました。

 

このような状況の中で、将来的にどうやって給料を上げるか色々考えました。給料を上げないと一生働き続けないといけないですし、子供が大きくなって教育に投資することもできなくなってしまいます。

 

自分としては、当時かなり追い詰められた状況だったので、直近の1年ですぐに事態を改善できるとは到底思えませんでした。でも、10年単位で考えれば何とか勝負できる可能性があるのではないかと思ってました。

 

これは、米国IT企業大手のセールスフォースドットコムの創業者であるマーク・ベニオフさんが著書に記していた、「人は1年で達成できることを過大評価しているが、10年で達成できることを過小評価している」と言う、言葉に触発された考え方です。自分はこの言葉が大好きで、人生の指針のひとつとしています。

 

多くの人が元旦に今年1年のさまざまな目標を作りますが、それらの目標は1年で達成可能と思われる範囲のものなので、(仮にその目標を達成できたとしても)人生という長期スパンのプロジェクトで考えると効果は非常に小さいです。

 

逆に、10年単位の目標を掲げ、それを10年という長い歳月をかけて達成できると、人生への貢献度は桁違いに大きなものとなる可能性を秘めています。せっかく目標を立てるなら、より長期のものが良いと考え、10年後の目標を立てることを選びました。

 

あともう一つ、自分の戦略作りのベースにした考え方が、元リクルートで民間人初の公立学校の校長先生をされた藤原和博さんのもので、3つのキャリア(強み)を掛け算して、30年で40-50代に100万人に1人の希少性をゲットすると言うものです。

 

自分の場合は10年スパンでの戦略として、まずは1000分の1の希少性をゲットすることで年収を大幅に上げることを目標にしました。

 

私が働いていた外資系IT企業には、法人営業として超一流のプロの営業マンが多く在籍していました。当時の彼らは1億円を大幅に超える年収で、フェラーリで通勤してくるような人たちです。

 

入社した当時は、彼らのようになりたいと思っていたこともありましたが、超一流のメジャーリーガーのような彼らと日々接している中で、とても自分が太刀打ちできる相手ではないと悟りました。多くのプロ野球選手が実際の大谷選手のバッティングや投球を見て、自分との実力差を肌で感じる感覚に近いかもしれません。

 

実力が足りないだけでなく、病気というハンデを持っていた当時の自分は、彼らのように法人営業として頂点(1万分の1 / 1000分の1)を極めることを諦め、10年かけて営業のメジャーリーガーたちの年収に近づくためには、彼らとは全く違うルートでキャリアアップする必要を感じたわけです。

 

この10年スパンで掛け算を使ってキャリアアップする方針を、どのように具体化して実践に落とし込んだかは、次のエントリーで紹介したいと思います。

 

ではでは。

イメージしてたセミリタイア生活に近づいてきたかも!?

みなさん、こんにちは。Alexです。

 

恒例となってしまいましたが、今回も更新まで随分と時間が経ってしまいました…

 

気分屋なので、仕方ないですね笑

 

 

新居に引っ越してからようやく1ヶ月が経ちました。少しずつ家の物も揃ってきて、こちらの生活にも馴染んできた気がします。

 

ただ、リビングの家具はまだすごく少ないです。ソファーは買いましたが、テーブルはまだキャンプで使うコンテナボックスで代用してます。

 

Creemaというクリエーターが直接出品した作品を購入できるアプリで、いくつか自分好みの家具を見つけたので、ダイニングテーブルと椅子2脚をそれぞれ違うクリエーターさんに注文しました。

 

納期が数ヶ月かかるみたいなので、楽しみに待ってます。

 

家具だけでなく、庭いじりの道具とかも色々買いました。最近自分の中で熱いのが、シバカツですね。

 

昔のオーナーさんの時代は庭全体に芝を植えていたみたいなのですが、いまとなっては、芝生というよりは、雑草天国の奥深くに芝の形跡がうっすら残っているくらいの感じになってるんです。

 

これを自分のチカラで、数年後には綺麗な芝生に復活させたいと思ってるのです。

 

でも、やり方とかよくわかってないので、You Tubeとかブログとかで勉強しながら、少しずつ実践をし始めてます。

 

先日は、芝の雑草向け除草剤を散布する道具を買って使ってみました。明日は、手動の芝刈り機が届く予定なので、人生初の芝刈り体験の予定です!

 

東京で仕事中心に過ごしてきた過去のライフスタイルを180度転換できてきてるので、本当に嬉しいです。

 

セミリタイア万歳! ということで、いまはのんびりしながらも、自分的には新しい刺激に溢れた生活をしています。

 

 

セミリタイア生活なので、日頃は、平日も週末も特に意識してないのですが、やはりゴーリデンウィークとなると人手がすごいですね。

 

自分が住んでいる場所は伊豆の中でも観光地として有名なところの1つなので、これまで見たことのないほどの量の交通量でした。

 

渋滞にはまるのも億劫なので、今週はなるべく家で過ごそうと思ってます。

 

と言いつつも、昔一緒の会社で働いていた同僚で5年くらい前から伊豆に住んでいる方と、今日近所でランチしました。

 

同じ伊豆と言っても、彼女(Tさん)が住んでいるのは伊豆半島の最南端の下田方面なので、私の住んでいる地域まではクルマで1時間くらいの距離です。

 

で、地魚の刺身定食を食べながら色々話したんですが、Tさんはサーフィンではなくボディボードにはまって、こちらに家を建てたと言ってました。

 

サーフィンもボディボードも海でボード使ってやる運動なので、話の共通点が多く、伊豆の波の情報とか、サーフスポットの情報(ローカルルールが厳しい・緩いなど)とか色々教えてもらいました。

 

自分は来週から今年のサーフィンを再開するつもりなので、とても良い情報をもらえました。

 

あと、Tさんも家の庭で家庭菜園をしているらしく、野菜作りの話でもすごく盛り上がりました。

 

自分は野菜作りの素人なので、近くに経験者がいると、ほんと助かります。これから野菜作りで困ったことがあったら、Tさんにも聞くことができるので、すごくラッキーです。

 

伊豆は、天候が良いのと時間に余裕がある人が多いので、家や近所の畑で野菜作ってる人がすごく多いです。

 

日本の田舎はどこもそうなのか?とも思っちゃいますが、以前住んでた福岡の田舎は、そうでもなかった気もするので実際はわかりませんね。

 

畑の先生といえば、自分の新居の売主さん(前のオーナーさん)のご主人も、私にとっては畑の先生ですね。

 

前のオーナーが植えてくれていたニンニクが食べごろになっていたので、収穫をしてから、近所に引越しをされた前のオーナーさんの家まで届けに行ったら、お返し?にと沢山の空豆(こちらも取りたて!)をもらいました。

 

で、その後、前のオーナーさんの家の畑に植えてある野菜などを教えてもらい、次はこれを植えてみたら良いよーとか、これ植えるならカインズとかでこれを買ってこういう風に植えるといいよーなどと教えてもらいました。

 

去年までIT業界で毎月のように海外出張をするようなグローバルな仕事をしてましたが、しばらくは田舎で自然と戯れながらのこの生活を楽しんでみます。

 

また気が向いたら、近況などをアップデートします。では!

新生活はじまりました ♪

みなさん、こんにちは。Alexです。

 

 

 

先週、セミリタイア生活の拠点となる、新しく買った中古の戸建への引越しをしました。

 

期せずしてハイシーズンに引越しをしてしまったので、市内の移動なのに6万円も費用がかかってしまいました。

 

前回、東京から静岡への引越しは12万円。しかも、自分だけでなく、息子の都内のマンションへの引越し代金も含んでの金額だったので、なおさら高く感じます。

 

引越しは、ハイシーズンにするものではないですね。

 

そろそろ落ち着いて生活したい気持ちもあるので、死ぬまでにあと2-3回くらいの引越しで済めば良いなーと思ってます。

 

 

 

新しい家は高台に建っているのに加えて、リビングが2階にあるので、見晴らしがとても良いです。

 

前に住んでたマンションも、部屋が3階にあったので、海も見えましたし見晴らしはそこそこ良かったのですが、見下ろす景色が住宅地だったんです。

 

今回は、別荘地に住んでいることもあり、見下ろす景色がほとんどが林で点在する家、その先に海と島?みたいな感じなので、すごく心が癒されます。

 

ここの別荘地は建蔽率の上限が20%に制限されているので、それぞれの家の庭が広く隣との距離が離れているので、少し外国っぽいかもしれません。

 

2日前に友達が早速遊びに来ましたが、景色や住環境がすごく良いと絶賛してくれました。

 

ただ、駅からは3キロくらいあり、しかも坂道が多いので、徒歩で駅のほうに行くのは厳しいです。

 

 

 

ということで、ここでは車での移動が基本となりますが、運動しないと身体が鈍ってしまうので、家にランニングマシーンを買おうか検討中です。

 

その前に、ソファーとか生活するのに必要な家具を揃えないといけないのですが、家具などのインテリア用品を探す過程を楽しみたいので、ゆっくり探すつもりです。

 

新しい家には広い庭と家庭菜園用の畑があるので、そちらのメンテナンス?も始めました。まずは雑草取りをやってますが、これがなかなか大変で…

 

これまでの人生で土いじりは殆どやったことがなかったので、その意味では新しいことなので楽しいのですが、雑草くんたちの勢いがすごいので、理想の状況に持っていくにはしばらく時間がかかりそうです。

 

今のところは、1日1時間くらいを雑草との戦いに費やしています。一度だけ2時間ぶっ通しで草取りをしたら腰が悲鳴を上げたので、今は1時間たったら、スパッと止めるようにしてます。

 

ついつい、もっと綺麗にしたくなっちゃうんですけどね。

 

 

 

腰が痛い話で思い出しましたが、最近のちょっとした悩みは身体の痛みです。

 

ゴルフを始めたことを以前書いたと思いますが、先月ゴルフの練習場でドライバーがまっすぐ飛ぶようになったんです。

 

それが嬉しくて、ドライバーをバシバシ打ってたら、左肩が痛くなってしまいました。この痛みがなかなか厄介でして、少し良くなったと思ってクラブを振ると、すぐ痛みが再発するんです…

 

痛みの再発サイクルを2回繰り返してからは、怖くてゴルフのクラブを振れなくなっちゃいました。いまは痛みはないですが、怖いのであと1週間くらい安静にしときます。

 

肩の痛みに加えて、膝も少し変なんですよね。というのも、ゴルフでやってしまった肩の痛みを悪化させないために、ジムでは筋トレをしないようにしてます。

 

その代わりに、ジムのランニングマシーンで走るようにしてて、先月は傾斜つけた形でトータル50キロくらい走ったのですが、先週ジムで走ってたら左膝に少し違和感というか軽い痛みが出まして。

 

 

 

セミリタイアした後は、好きなだけ運動もしようと思っていた矢先に、色んなところに痛みが出てきてしまい、年には勝てないなーって感じです。

 

これも勉強だと思って、自分の身体とうまく付き合っていけるようにしていかないといけないですね。もう若くないんだなーって、しみじみ思います。トホホ

 

もう少し暖かくなったらサーフィンも再開するつもりなので、こっちでは、怪我しないように十分気をつけて楽しみたいです。

 

 

 

ということで、身体の痛み&雑草と格闘中のセミリタイア生活レポートでした。

 

 

では、また!

一度きりの人生、楽しみましょう

みなさん、こんにちは。Alexです。

 


先日、新しく伊豆に買った家の決済も終わり、新しい生活に向けて着々と進めています。今日は電気、明日はガスの開栓?と温泉の接続をします。インターネットはNuro光にしたのですが、工事まで1ヶ月待ちらしく、こちらは4月半ば以降になる予定です。あと、床下などに断熱材を入れる工事もするのですが、業者さんが忙しいみたいで、こちらは4月か5月くらいになりそうです。

 


売却した東京の自宅で使ってたソファーやテーブルなどの大型家具は捨ててしまったので、新しい家では新たに家具を揃えるつもりです。今回はアウトドアでも使えるギアを中心にインテリアを作りたいので、久しぶりに家具選びのネットサーフィンに結構な時間使っちゃってます。東京と違って田舎の伊豆にはインテリアショップがほとんどないので、頼みの綱はネットなのです。一応、最近できたニトリはあるんですけどね笑 

家具を選んだり、インテリアを考えたりする時間は凄く好きなので、楽しんでやってます。

 


あと、伊豆の桜は2月から3月にかけて満開を迎える河津桜が有名で、凄く多くの人が来てました。私は河津よりは伊豆半島のだいぶ北側に住んでるのですが、こちらの地域で有名な桜並木はこれから満開になります。その頃には親を呼んでみたいのですが、時間的にちょっと準備が間に合わないかもしれません。ただ、実家のマンションの窓からも綺麗に桜が見えるので、そんなに桜をみたいって想いが親にはないのかもしれませんが…

 


いずれにしても、高齢の両親とゆっくりと時間を過ごして、悔いのないよう早め早めに親孝行をしたいと思ってます。新しい家の準備が出来次第、両親を伊豆に招待するつもりです。

 


後悔しないようにと言うと、もう1点。私が仕事をしてた時の取引先の某社長さんが先日急に亡くなりました。年齢は私とそんなに変わらない50代前半だったと思いますが、くも膜下出血で急死されました。昨年末に会食した時はとても元気そうでしたので、凄くショックです。後悔しない形で死の瞬間を迎えてくれてたら良いのですが、ご家族のことやご自身の人生について後悔しながら死を迎えたのであれば、本当に残念です。

 


知人の死の報告を受けて、この世の生き物は全て寿命があるわけで、その限られた時間を笑って楽しく有意義に過ごしていこう、と強く思いました。人生は、苦しむのではなく楽しむためにあると自分は思ってます。1秒でも多くの時間を心地よく過ごしたいです(^^)

 


自分らしく、人生楽しみます!

 


では!