最終編-10年で年収を10倍にアップした方法

前回までのエントリーで、年収を今後10年で大幅にアップさせるために取った方法として、以下の2つの大方針を決めたことをお伝えました。
 
  1. 10年後に目指すキャリアゴールを、新たに日本に進出してくる外資系日本法人の社長とする
 
  1. 1/1000の希少な人材になるためのキャリアアップの方程式を、1/10 (ビジネス英語力)  x  1/10 (管理職としての実績)  x  1/10 (新規事業の立ち上げ実績)  と定め、管理職と新規事業の立ち上げの2つの実績を積むことに狙いを定める
 
 
当時の自分はすぐに管理職になれる立場ではなかったので、内勤営業として勤務しながら、経営層の考え方を知ることと自分をアピールするために、経営メンバーとの接触を増やすようにしました。やったことは、会食の席で出来るだけ彼らの隣の席をゲットして話を聞いたり、ランチをご一緒させてもらうなどです。
 
上記の戦略を決めた半年後くらいだったと思いますが、最前線で活動する法人営業部隊の生産性を向上することを目的として、社内にProductivityという部門を新たに作るという話を聞きました。内勤営業の仕事も自分が担当する外勤営業を支援する業務でしたが、Productivityは個々の営業マンではなく、営業部門全体の生産性を向上する施策を実施する部門なので、管理職としての指揮権はないものの、これは営業のマネージメントを擬似体験できる良い機会になると思い、部門の立ち上げメンバーとして立候補しました。
 
病気する前は、自分も最前線の法人営業として活動していた経験があることや、経営メンバーに対して改善策などを日頃の何気ない会話で提案していたことなどから、すんなりとProductivity部門へ異動できました。その部門では2年ちょっと活動し、営業の管理職のメンバーが日々どのような課題を持っているのか、営業メンバーの評価をどのような観点で実施しているのか、営業本部ごとの特性や傾向など、外野からは知り得ない情報に日常的に触れることができたのが、自分の財産となりました。
 
その後、この会社に転職した時に自分のメンターだった先輩が某製品部門の事業部長に就任され、その部門の製品営業にならないかと誘ってくれました。Productivity部門での終盤に、改善意欲の薄い上司との関係が悪化していたことや、波があるものの、その頃には自分の体調がだいぶ良くなってきていたので、製品営業として活動させてもらうことになりました。
 
製品営業は、自社の製品群の中で、まだ主力製品となっていないマイナーなものを、外勤営業や代理店を通じて拡販する任務を背負っています。特に外資系企業では、自社製品が陳腐化しないよう、新領域の製品やテクノロジーを自社で開発するだけでなく、外部から買収を通じて定期的に社内に取り入れます。それら新製品の販売促進を担当するのが製品営業の役割です。外勤営業は、自社の主力製品の販売には長けていますが、非主力製品は販売したことがない・または慣れていないので、放っておくと売らない傾向にあります。その弱点を組織としてカバーするために、製品営業が販売トーク・資料などを作成し、外勤営業と同行して非主力製品の販売につなげます。
 
自分が製品営業となってから2年間は、新製品ではなく、すでに社内で販売されて期間が経っていた非主力製品の拡販を行いました。自ら販売するのではなく、前線の営業や代理店に販売してもらうために、さまざまな販売促進策を矢継ぎ早に実施しました。試行錯誤をする中で、上手くいくケースといかないケースの棲み分けを、なんとなくではありますが、現場の経験を通じて理解できたのはすごく良かったです。
 
この時点で、10年計画を立ててからすでに4年が経過しました。このタイミングで、1年前に買収した製品をマーケティング部門が中心となり販売促進をしてきたが、一向に売れないため、製品担当の責任者となってもらえないかと打診がありました。ついに、自分が待ち望んでいた新規ビジネスの立ち上げをする絶好の機会が到来したので、すごく興奮したのを覚えています。
 
製品のターゲットなる顧客の絞り込みができたことや、売り方の鉄板トークを外勤営業の多くが身につけてくれたお陰もあり、自分が担当した1年ちょっとで売上は10倍以上になりました。どのように売り上げを伸ばしたかを書くと長くなってしまうのでここでは割愛しますが、この1年間は自分の成功体験となり、自信にもつながりました。さらに良かったのは、日本でこの製品の売り上げが急激に増加したことで、日本だけでなくAPJ(アジア・パシフィック・ジャパンの略)地域全体を統括するシンガポールの経営陣に、自分の名前を知ってもらえるようになったことです。
 
製品責任者として1年ちょっと経過した頃に、会社が非常に力を入れて開発を進める全く新しい製品が、これまでと異なる形の事業形態でリリースされることになりました。この製品は、自社に加えて他のメジャーなIT企業2社と共同で出資をして新会社を立ち上げ、新会社が製品開発と販売促進を担い、その3社の外勤営業と各社の代理店と共同で販売するスキームです。本社がある米国では新会社を設立しましたが、日本では、当分の間は3社それぞれの社内に新しい部門を作り、3社共同で拡販をすることになりました。
 
この新しい部署で新たにマネージャーが採用されることになりました。これは自分が管理職になる絶好の機会だと思い、このマネージャー職に立候補しました。しかし、当時の日本法人社長は自分とは別の人をマネージャーにつけようと計画していることを知り、このままでは自分が採用されないと思い、色んな人に働きかけをして自分を押してもらうようにお願いしました。
 
この時はなりふり構ってられないので、社内政治を大いに使いました。また、仮にこの部署のマネージャーに自分がなれないのであれば、会社を退職する意向であることを公に表明しました。
 
ここは勝負どころであると判断し、退路を断ったんです。紆余曲折ありましたが、なんとかマネージャーとなることができ、初めて管理職を経験するとなります。
 
部員は私を含め6名からのスタートと言うことで、新しいメンバーは自分が採用することになりました。2人を社内からリクルートし、その他のメンバーは外部から採用しました。初めての管理職と言うこともあり、少し気合入れすぎてしまったのか、一時期精神的に病んでしまったメンバーが1人いたり、新しい取り組みということでうまくいかないこともたくさんありましたが、最終的にはこのビジネスを無事に立ち上げることができ、会社からも高い評価を受けました。
 
このように、ちょっと無理してでも管理職のポジションを早めに勝ち取ったことが、自分のキャリア形成において非常にポジティブに作用しました。その後、様々な会社から管理職として転職のオファーをいただき、最終的には他のITセキュリティ会社の事業部長として転職しました。この部門は、企業にセキュリティ関連のクラウドサービスを提供していたのですが、私が入社した当初は、日本全体で1万ユーザ位のビジネス規模しかありませんでした。そこでこれまで培ってきた顧客のターゲティングや絞り込み、さらには販売体制の見直しや売り方の磨き上げを徹底的に行い、2年間で約100倍の100万ユーザを超えるまでにビジネスを大きくすることができました。
 
このようにビジネスの立ち上げと管理職としての実績を短期間で作ることができ、いよいよ自分が当初目的としていた、日本市場に入ってくる外資系企業の日本法人社長として声がかかってもおかしくない、最低限の準備は整いました。
 
その後もいくつかの会社から管理職としてのオファーをいただきましたが、次のキャリアは日本法人の社長と決めていたので、それは全てお断りしました。日本法人の社長としてのポジションの話が来るのをただ待っていても仕方ないので、リクルーターと話をするたびに、自分が求めているポジションの説明をしたりもしていました。
 
当初の目論見通り、新たに日本法人を立ち上げると言う話は思っていた以上にたくさんあり、幸運にもそれらの会社の社長をやってみないかと言うお誘いを何回かいただけるようになりました。条件面や会社の方向性またはソリューションなど、自分が思っていたものと合わない話が多く、なかなかうまくいかない時もありましたが、最終的に知人の紹介ですばらしい会社と出会うことができました。
 
その会社に移籍するにあたって、条件面でいくつか交渉しましたが、私の他に候補者がたくさんいるわけでもなく、自分が有利に交渉を進めることができました。最終的には10年前と比べると約6倍の年収で、この会社と契約をしました。その後、その会社に移ってからも業績を大きく伸ばすことができ、3年間で日本法人の売り上げを約20倍にすることができました。外資系の日本法人の社長なので、売り上げが目標を大きく上回るとたくさんのコミッションをいただけるわけで、最後の数年間は、10年前と比べると10倍以上の年収を定期的にもらえるようなところまでレベルアップできました。
 
このように書いてみると、自分の年収の軌跡は、すごく順調な右肩上がりのストーリーとして見えるかもしれませんが、いくつかのターニングポイントで失敗をしていたら、こうなっていなかったのではないかと常々思います。
 
最大のターニングポイントは、自分が法人営業としてトップを極めると言うことを諦め、違う道で成功すると決めたことだと思います。つまり、自分の強みと自分の弱みを正確に把握し、強みを最大限生かせるところで勝負をすることができたというのが一番の成功の要因でした。そして強みを生かせるフィールドで、当初考えていた方程式を10年間と言う長い時間をかけて完成させたことで、目標を達成できたのだと思います。
 
この世界は需要と供給で成り立っているので、供給の少ないところで勝負をするのが一番手っ取り早いと思います。ただしそこに需要がないと意味がないので、場所の見極めは慎重に行う必要があります。その場所にしっかりとした需要があり、なおかつ供給が非常に限定的であれば、年収は間違いなく大きく上がります。おそらく、自分の言い値で年収を決めれると思います。
 
何度も繰り返しちゃいますが、すごく大事なポイントは、供給が少ない非常に希少性のある人材に自分がなれるかどうかと言うポイントです。何回かお話ししているように、短期間でマーケットの中で短期間で希少性の高い人材となるのは非常に困難です。自分なりの勝てる方程式を作ったら、日々の業務を通じて時間をかけてその方程式を完成させるというのが、年収を大幅にアップさせる秘訣です。
 
誰もが異なる強みを持っているわけで、自分が持っている強みを自分なりの成功の方程式に落とし込んで、時間を味方につけながらその方程式を完成させるように進めてみると、意外と早い段階で成果が出始めてくるのではないかと思います。間違っても、自分の弱みを克服することに時間をかけないでくださいね。いくつかの強みを組み合わせ、それぞれをどんどん尖らせていって、日本の人材市場で少なくとも1000人に1人の希少性を身につければ、間違いなく年収は数倍から数十倍になります。
 
世の中に会社も役職も無数にあるわけで、その中で自分の強みを最大限生かせる会社なり役職で勝負することがすごく大事です。キャリアといっても仮に20歳から65歳位まで働くとして、最大でも40年ちょっとしかないわけで、勝算の高い自分なりの方程式を持たずに何年も無駄にするような事はすごくもったいないです。自分の勝てる方程式を見つけた上で、自分の強みを強化できるポジションに早く着くことが大事です。
 
皆さんも自分の強みを活かした上で、どんどん年収を増やしていきましょう。